「しぇ」「じぇ」
テーマ:方言
2011年04月19日 09時38分
海は、春のうねりです。
波が高くて、網を持てません。
こないだの日曜日に、ブリが1100本ほどありましたが、昨日今日と朝は持てませんでした。
「女心と春の空」
と、言いますけれど、春の海もころころ変わります。
これ↑は、昨日の写真ですけども、雲の色が、手前は濃く、奥ほど薄くなっているのがわかりますか?
三段くらいになっていますね。
こんなふうに雲の色が段々になっているときは、
「これから荒れてくるぞ」
というしるしだそうです。
漁師の知恵ですね。
ちなみに今日は気持ちいいくらい晴れていますが、沖はうねっております。
白波寄せています。
昼に持てるかどうか…。
さて、こないだ探偵ナイトスクープを見ていたら、
「ざ行が発音できない母」
という依頼が来ていました。
兵庫県の方なんですが、「ざじずぜぞ」が、「だぢづでど」になってしまうらしいんですね。
ザ行がダ行になってしまうんだそうです。
なので、孫の名前が「禅(ぜん)ちゃん」なのですが、祖母が言うと「でんちゃん」になってしまう。
「お宅のお孫さん、名前は何ていうの?」
「でんです」
「え?」
こんな会話が、ご近所で繰り返されてきたそうです。
アナウンス学院の先生も必死で教えて、何とか矯正できたようですが、最後、「ぜんちゃん」と言えたときには、この祖母の目に涙が浮かんでいました。
西田敏行局長の目にも涙が浮かんでいました。
まあそれはいつものことなんですけども(笑)。
こういうケースは珍しいことではなく、例えば沖縄だとカ行がタ行になったりします。
これは、実は発音のしやすいほうに寄っていっているんですね。
カ行よりもタ行のほうが発音しやすいのです。
その証拠に、赤ちゃんはなかなかカ行が言えません。
まだ舌足らずに、「ネコ」が「ネト」になったりします。
番組を見ながら、そういえば尾鷲でも同じようなことがあるなぁ…と感じました。
もっとも、「発音のしやすさ」ではなく、「古い発音が残っている」ことからくる方言ですし、しかももう消えかかっているんですけども。
尾鷲のジイヤン・バアヤンは、「せ」が「しぇ」に、「ぜ」が「じぇ」になります。
ですから例えば、
「先生(せんせい)」が「しぇんしぇー」
「千円(せんえん)」が「しぇんえん」
「全然(ぜんぜん)」が「じぇんじぇん」
「戦前(せんぜん)」が「しぇんじぇん」
になるんですよ。
もし尾鷲で「禅ちゃん」という孫が生まれたら、その祖父母は、「じぇんちゃん」と呼ぶでしょう(笑)。
高校時代の教頭先生は、わかりやすい尾鷲弁でしたので、校内放送でいつも、
「しぇんしぇーがた、しぇんしぇーがた、職員会議を開きますので、職員室に集まってください」
とアナウンスされていました。
では、「果たしてこの「しぇ」「じぇ」がいったいどこから来たのか?」ということなんですけども、その答えは意外なところにありました。
実は、もともとは「しぇ」「じぇ」が標準語だったのです!
「えー?!」
と驚く気持ちはよくわかります。
まあ私の話を聞いてください。
室町時代から安土桃山時代にかけて、日本にはポルトガル人がやってきて、キリスト教、銃などが伝来しました。
昔、歴史の授業で習いましたよね。
イエズス会。
フランシスコ・ザビエル。
1549(いごよく)広まるキリスト教。
その当時、宣教師らは日本でキリスト教を広めるため、まず身につけなければいけないことは、「日本語」でした。
キリストの教えを伝えるために、日本語を学ばなければいけません。
今の時代、駅前留学すれば済むのですが、当時はそうもいきません。
というか、はるばる海を越えて日本にやってくること自体が命がけです。
現代に例えると、月に行くようなものでしょう。
それでも、「神の教えを世界に」という一途な思いで、宣教師たちは世界に船を進めたわけです。
(もちろんそれ以外の目的もあったでしょうが)
そんな宣教師たちのために、「日葡辞書」という辞書が作られました。
この辞書には、約32000ほどの語彙が収録されています。
それによると当時の日本では、「せ」「ぜ」に当てはまるところに「しぇ」「じぇ」が使われていることがわかったのです。
サ行は、時代とともに変化してきたのですね。
当時の都は、京都です。
都で使われている言葉はすなわち、標準語です。
ということはつまり、「しぇ」「じぇ」は昔、標準語だったということなんですよね。
おもしろいことに言葉は、京都から同心円状に波及し、遠くに行けば行くほど古い言い回しが残っているのです。
尾鷲は紀伊半島にあり、直線距離で考えると京都から近いのですが、交通手段が限られた陸の孤島だったので、こういう古い言葉が残っているんですね。
残念ながら現在尾鷲で、この「しぇ」「じぇ」は、若い人たちのあいだではもうほとんど見られません。
70代以上に残っているだけではないでしょうか。
日本の言葉の歴史を感じることができる貴重な方言なのですが、きっと近いうちに消えてしまうでしょう。
ちょっと寂しい気もしますが、言葉は時代とともに移り変わるものですから、やむをえません。
そんなわけで、あなたもぜひ、尾鷲で(昔の)標準語を使ってみませんか?
BGMは、陰陽座の「おらびなはい」。
せっかくなので、方言が使われている歌を…。
あ、かなりハードロックなバンドなのでご注意を…。
「おらぶ(叫ぶ)」「ちばける(ふざける)」というのは、岡山方言です。
ちょっと前に、「ぼっけえきょうてえ」という本が出版されて話題になりましたが、あれも岡山ですね。
ちなみに「とても怖い」という意味です。怪談本ですね。
そういえば岡山方言は、「でーかでーこんてーてーて(誰か大根炊いといて)」ってのも有名ですよね。
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波が高くて、網を持てません。
こないだの日曜日に、ブリが1100本ほどありましたが、昨日今日と朝は持てませんでした。
「女心と春の空」
と、言いますけれど、春の海もころころ変わります。
これ↑は、昨日の写真ですけども、雲の色が、手前は濃く、奥ほど薄くなっているのがわかりますか?
三段くらいになっていますね。
こんなふうに雲の色が段々になっているときは、
「これから荒れてくるぞ」
というしるしだそうです。
漁師の知恵ですね。
ちなみに今日は気持ちいいくらい晴れていますが、沖はうねっております。
白波寄せています。
昼に持てるかどうか…。
さて、こないだ探偵ナイトスクープを見ていたら、
「ざ行が発音できない母」
という依頼が来ていました。
兵庫県の方なんですが、「ざじずぜぞ」が、「だぢづでど」になってしまうらしいんですね。
ザ行がダ行になってしまうんだそうです。
なので、孫の名前が「禅(ぜん)ちゃん」なのですが、祖母が言うと「でんちゃん」になってしまう。
「お宅のお孫さん、名前は何ていうの?」
「でんです」
「え?」
こんな会話が、ご近所で繰り返されてきたそうです。
アナウンス学院の先生も必死で教えて、何とか矯正できたようですが、最後、「ぜんちゃん」と言えたときには、この祖母の目に涙が浮かんでいました。
西田敏行局長の目にも涙が浮かんでいました。
まあそれはいつものことなんですけども(笑)。
こういうケースは珍しいことではなく、例えば沖縄だとカ行がタ行になったりします。
これは、実は発音のしやすいほうに寄っていっているんですね。
カ行よりもタ行のほうが発音しやすいのです。
その証拠に、赤ちゃんはなかなかカ行が言えません。
まだ舌足らずに、「ネコ」が「ネト」になったりします。
番組を見ながら、そういえば尾鷲でも同じようなことがあるなぁ…と感じました。
もっとも、「発音のしやすさ」ではなく、「古い発音が残っている」ことからくる方言ですし、しかももう消えかかっているんですけども。
尾鷲のジイヤン・バアヤンは、「せ」が「しぇ」に、「ぜ」が「じぇ」になります。
ですから例えば、
「先生(せんせい)」が「しぇんしぇー」
「千円(せんえん)」が「しぇんえん」
「全然(ぜんぜん)」が「じぇんじぇん」
「戦前(せんぜん)」が「しぇんじぇん」
になるんですよ。
もし尾鷲で「禅ちゃん」という孫が生まれたら、その祖父母は、「じぇんちゃん」と呼ぶでしょう(笑)。
高校時代の教頭先生は、わかりやすい尾鷲弁でしたので、校内放送でいつも、
「しぇんしぇーがた、しぇんしぇーがた、職員会議を開きますので、職員室に集まってください」
とアナウンスされていました。
では、「果たしてこの「しぇ」「じぇ」がいったいどこから来たのか?」ということなんですけども、その答えは意外なところにありました。
実は、もともとは「しぇ」「じぇ」が標準語だったのです!
「えー?!」
と驚く気持ちはよくわかります。
まあ私の話を聞いてください。
室町時代から安土桃山時代にかけて、日本にはポルトガル人がやってきて、キリスト教、銃などが伝来しました。
昔、歴史の授業で習いましたよね。
イエズス会。
フランシスコ・ザビエル。
1549(いごよく)広まるキリスト教。
その当時、宣教師らは日本でキリスト教を広めるため、まず身につけなければいけないことは、「日本語」でした。
キリストの教えを伝えるために、日本語を学ばなければいけません。
今の時代、駅前留学すれば済むのですが、当時はそうもいきません。
というか、はるばる海を越えて日本にやってくること自体が命がけです。
現代に例えると、月に行くようなものでしょう。
それでも、「神の教えを世界に」という一途な思いで、宣教師たちは世界に船を進めたわけです。
(もちろんそれ以外の目的もあったでしょうが)
そんな宣教師たちのために、「日葡辞書」という辞書が作られました。
この辞書には、約32000ほどの語彙が収録されています。
それによると当時の日本では、「せ」「ぜ」に当てはまるところに「しぇ」「じぇ」が使われていることがわかったのです。
サ行は、時代とともに変化してきたのですね。
当時の都は、京都です。
都で使われている言葉はすなわち、標準語です。
ということはつまり、「しぇ」「じぇ」は昔、標準語だったということなんですよね。
おもしろいことに言葉は、京都から同心円状に波及し、遠くに行けば行くほど古い言い回しが残っているのです。
尾鷲は紀伊半島にあり、直線距離で考えると京都から近いのですが、交通手段が限られた陸の孤島だったので、こういう古い言葉が残っているんですね。
残念ながら現在尾鷲で、この「しぇ」「じぇ」は、若い人たちのあいだではもうほとんど見られません。
70代以上に残っているだけではないでしょうか。
日本の言葉の歴史を感じることができる貴重な方言なのですが、きっと近いうちに消えてしまうでしょう。
ちょっと寂しい気もしますが、言葉は時代とともに移り変わるものですから、やむをえません。
そんなわけで、あなたもぜひ、尾鷲で(昔の)標準語を使ってみませんか?
BGMは、陰陽座の「おらびなはい」。
せっかくなので、方言が使われている歌を…。
あ、かなりハードロックなバンドなのでご注意を…。
「おらぶ(叫ぶ)」「ちばける(ふざける)」というのは、岡山方言です。
ちょっと前に、「ぼっけえきょうてえ」という本が出版されて話題になりましたが、あれも岡山ですね。
ちなみに「とても怖い」という意味です。怪談本ですね。
そういえば岡山方言は、「でーかでーこんてーてーて(誰か大根炊いといて)」ってのも有名ですよね。
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つながり
テーマ:ふるさと
2011年04月15日 10時39分
今朝、午前7時頃まで、docomoの携帯がつながりませんでした。
「メンテナンス工事をやっております」という回答でした。
「聞いてないよー!」
と、憤慨した漁業関係者は、たくさんいると思います。
今朝なんか漁が少なくて、7時には市場が終わっていましたから。
どこの港にどれくらいの魚が揚がって、それをいくらで買うのか?
という情報をいかに速く手に入れて、魚を買って行くのが仲買さんの仕事です。
ですから、現在では携帯が手放せません。
毎朝、携帯電話でにぎやかに話す声とともに、市場は運営されています。
ちょっと前、携帯がなかった頃は、電話ボックスでした。
それぞれの仲買さん専用の電話ボックスがあり、そこで商売の話をしていたそうです。
今でも市場の横に、元電話ボックス小屋があります。
さらにもっと昔には、のろしで連絡していた時代があったと聞きました。
「関西方面の魚の値段が、のろしで伝えられた」
と、地元の方に教えてもらいました。
そういえば、木名峠にのろし場が残されています。
http://www.city.owase.lg.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=738
↑尾鷲市の文化財HPです。
写真はありませんが、ぐーっと下のほうに、「木名峠狼煙場跡 3本建1基 江戸 市内唯一の残存狼煙場跡 早田区」とあります。
でも、他のHPを読むと、「異国船を見つけたときのためののろし場」だと書いてあります。
開国してから、用途が変わったということなんでしょうか。
狼(オオカミ)の煙(ケムリ)と書いて、狼煙(のろし)。
良質の煙を出すために、狼の糞を使ったとか。
それにしても、ちゃんとした文化財なんですね。
原型をとどめて残存しているのは、珍しいそうです。
携帯の話をしていたつもりが、いつの間にかのろしの話になりました。
「つながり」というタイトルのくせに、話はまとまっていません。
要するに、私が何を言いたいかというと、
「とにかく大漁してほしい!」
ってことなんです。
BGMは、浜田省吾さんの「僕と彼女と週末に」。
僕と彼女と週末に [DVD]が、少し前に発売されました。
たまに、この人は予言者じゃないのかと思うことがあります。
この曲を紹介するのは2回目ですけども、どうしても今、聴いておくべきかな…と。
以前に紹介したものとは別の動画、別のヴァージョンです。
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「メンテナンス工事をやっております」という回答でした。
「聞いてないよー!」
と、憤慨した漁業関係者は、たくさんいると思います。
今朝なんか漁が少なくて、7時には市場が終わっていましたから。
どこの港にどれくらいの魚が揚がって、それをいくらで買うのか?
という情報をいかに速く手に入れて、魚を買って行くのが仲買さんの仕事です。
ですから、現在では携帯が手放せません。
毎朝、携帯電話でにぎやかに話す声とともに、市場は運営されています。
ちょっと前、携帯がなかった頃は、電話ボックスでした。
それぞれの仲買さん専用の電話ボックスがあり、そこで商売の話をしていたそうです。
今でも市場の横に、元電話ボックス小屋があります。
さらにもっと昔には、のろしで連絡していた時代があったと聞きました。
「関西方面の魚の値段が、のろしで伝えられた」
と、地元の方に教えてもらいました。
そういえば、木名峠にのろし場が残されています。
http://www.city.owase.lg.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=738
↑尾鷲市の文化財HPです。
写真はありませんが、ぐーっと下のほうに、「木名峠狼煙場跡 3本建1基 江戸 市内唯一の残存狼煙場跡 早田区」とあります。
でも、他のHPを読むと、「異国船を見つけたときのためののろし場」だと書いてあります。
開国してから、用途が変わったということなんでしょうか。
狼(オオカミ)の煙(ケムリ)と書いて、狼煙(のろし)。
良質の煙を出すために、狼の糞を使ったとか。
それにしても、ちゃんとした文化財なんですね。
原型をとどめて残存しているのは、珍しいそうです。
携帯の話をしていたつもりが、いつの間にかのろしの話になりました。
「つながり」というタイトルのくせに、話はまとまっていません。
要するに、私が何を言いたいかというと、
「とにかく大漁してほしい!」
ってことなんです。
BGMは、浜田省吾さんの「僕と彼女と週末に」。
僕と彼女と週末に [DVD]が、少し前に発売されました。
たまに、この人は予言者じゃないのかと思うことがあります。
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敬語がない
テーマ:方言
2011年04月12日 10時07分
尾鷲弁には敬語がありません。
いや、「まったくない」とは言いません。
男言葉、女言葉の違いや、目上に対するちょっと丁寧な言葉遣いというのはあるんです。
けども、「敬語」として考えると、「ほぼ、ない」のです(笑)。
敬語が入ると、方言が消えます。
他所から尾鷲に赴任して来た先生たちは、まず、「生徒が先生に対して敬語を使わない」ことにびっくりするそうです。
思い起こせば、僕らもそうでした。
職員室のドアをバーンを開けて入って行って、
「センセー!プリントちょーだい!」
「おう、これ持ってけよ」
「ありがとー!」
という会話が普通でした。
まず、職員室のドアをノックして、「失礼します」と声をかけ、「○○先生いらっしゃいますか?」と聞き・・・。
なんてのはどこか遠い国のお話(笑)。
先生のことを「アンタ」って呼ぶのは日常茶飯事。
「アンタ」って呼ばれても、怒っちゃいけませんよ。
それは、生徒から慕われている証拠なんです。
尾鷲で、生徒から敬語なんて使われたら、どれだけ心の距離が離れているか計りしれません。
ちなみに、尾鷲で「アンタ」は乱暴な言葉ではないんですよ。
尾鷲市のHPでも興味深く紹介されているのですが、この例文はおもしろいですね。
尾鷲の人なら、にやっとするのではないでしょうか。
以下に紹介しますね。
ちなみに市のHPでは、尾鷲弁の敬語は「貧困」だと表現されています。
☆★☆★☆以下、市のHPより抜粋☆★☆★☆
・外来客が、土産物を買い物にいった
客 「すいません」、
店主 「何(ナン)どな」
(いらっしゃいませ。:何も悪意は無い)
客 「何かいい土産がないですか?」
店主 「イ?、ナンジャッテイ」
(ええ?何ですって?)
〜店主は高齢の為、少し耳が遠い
客 何か、店主を怒らせたのかとドキドキしながら、早く用事を済まそうと適当な土産を見つけ・・・
「この、かつをぶしみたいなものを下さい。」
店主 「アイ、ナマブシ(生節)ヤナ」
(はい、生節ですね)
客 「そうです、二ついただけますか?」
〜ここへ店主の孫が学校から帰って来た。
孫 「あー腹へったよー、じいヤン、カシンくれイ」
(お腹すいたから、おじいさん、菓子を頂戴)
店主 「ガッコから帰ってきたとおもたら、カシンくれくればっかいうて、シクダイもせんコーはアンポンタンジャ」
(学校から帰ってきてすぐ、宿題(勉強)もしないで、菓子をねだるような子供はアホだ)
孫 「カシンほしキッテクよー」
(菓子を下さい:キッテクは欲しいを強調している)
店主 「シクダイしてからジャ」
(宿題したら、あげるよ)
〜孫は、寝転がって、漫画の本を読んでいる。
店主 「漫画らぁ、みいよらんと、チャッチャット、シクダイせー」
(漫画なんか読んでいないで、早く(敏速に)宿題をしなさい
:多数形に「ら」をつける場合がある。※「あの子ラ」:あそこの子供たち或いはあそこの人たち)
孫 「ちぇ・・・・」以下、友達の家庭ではケーキとか上品なおやつをすぐに、出してくれるとかの話をしだす。
店主 〜少し興奮して
「なんどー、クドクド、コッペタようなこと云うな、男の子やろ!」
(コラ、男だったら、しつこく、無駄口を叩くな!)
孫 「ちぇっ」
店主の妻 「あんたも、そんなに怒んナイ、ケッアツあがるデ」
(まぁ、まぁ、あなたもそんなに、おこならないで、血圧があがりますよ)
店主 「やかまっしャー、イナ、そんなんやモンデ、この子をたかなしにしたるんジャ」
(うるさい、お前がそんなふうだから、この子がつけあがるんじゃ)
孫 「ちぇっ」
店主 「シワタラコー、云いよらんと、チャッチャトせー!」
(しつこく云ってないで、早く(宿題を)しろ!)
客 〜尾鷲弁に慣れていないので、店主・孫の会話に圧倒され、黙っていたのだが、
列車の時刻が迫ってきたため、精一杯、勇気をふりしぼり・・・
「あの・・」
店主 〜孫を叱りとばして(きつく叱った)いたため、客を待たしていたことに、やっと(ようやく)気付き、すまなそうな顔をして・・
「ごめんイ、待たしたヨー ナマブシやったんナ」
(本当にすみません、お待たせしました、生節ですね)
客 「はい」
店主 「どんなけどナ?」
(孫を叱りとばしていたたため、2個注文されたのを忘れている)
(いくつですか?:普段は、「どんなけ」と云うが、相手はお客さんで、時間待ちをさせたため、精一杯の謝意を表するため、「ドナ」をつけた)
客 「?」
(「ドンナケドナ」の意味がよくわからず、逡巡している)
店主 「いくついるン?」
プーーーーーーーーー!!
〜列車の発車の汽笛が聞こえてきた。
客 〜自分で品物を2つとり、慌てた様子で・・・
「ここ、これだけ下さい!」
「い、いくらですか?」
店主 「○○円です。」
〜客、品物受け取る。
店主 「おおきに」「ごめんイ」
客急いで駅に走る
店主もつらいので(気の毒なので)一緒に走る。
☆★☆★☆以上、市のHPより抜粋☆★☆★☆
普通なら、「菓子」に「御」をつけて、「御菓子(おかし)」でしょ。
でも、尾鷲弁では、語尾に「ン」をつけて、「かしん」なんですよ。
なぜなんでしょうね…。
あと、駄菓子屋に入るときのあいさつにも特徴があります。
「こんにちはー」
なんて言いません。
「売ってー」
と言いながら入って行きます。
するとおばちゃんが、
「はいはい。なんにするどいー」
と言いながら出てくるのです。
お店に「売ってー」って入って行く。
そのままやがな(笑)
わかりやすくていいですよ。
僕だって子どもの頃は、100円玉を握りしめて「売ってー」って駄菓子屋に駆け込んでいったものです。
昔、方言学の授業で習ったのですが、九州地方では、細かい序列を表現する敬語があるそうです。
上から下まである細かい身分に対して、自分の身分をふまえて敬意を表現していたんです。
身分制度や、男女差別が厳しかった九州地方の実情が、言葉に表れているんですね。
敬語がない僕らは、まずそのバックボーンを理解するのに、けっこう時間がかかるだろうなぁ…と思います。
ぜひあなたも尾鷲へ遊びに来て、「敬語の貧困な尾鷲弁」を味わってみてください。
でも、怒らないでね(笑)
悪気はないのよ☆
BGMは、Michael Jacksonの「Black Or White」。
マイケルの作品の中で、この曲はかなり好きですねぇ。
ホントに、歌詞も素晴らしいんですよ。
最後の、顔がどんどん変わっていくシーンでは、当時としては最新の映像技術を駆使しており、とんでもない費用がかかったそうです。
聞いた話によると、1秒100万円だとか。
さすがマイケル。スケールがデカすぎます。
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いや、「まったくない」とは言いません。
男言葉、女言葉の違いや、目上に対するちょっと丁寧な言葉遣いというのはあるんです。
けども、「敬語」として考えると、「ほぼ、ない」のです(笑)。
敬語が入ると、方言が消えます。
他所から尾鷲に赴任して来た先生たちは、まず、「生徒が先生に対して敬語を使わない」ことにびっくりするそうです。
思い起こせば、僕らもそうでした。
職員室のドアをバーンを開けて入って行って、
「センセー!プリントちょーだい!」
「おう、これ持ってけよ」
「ありがとー!」
という会話が普通でした。
まず、職員室のドアをノックして、「失礼します」と声をかけ、「○○先生いらっしゃいますか?」と聞き・・・。
なんてのはどこか遠い国のお話(笑)。
先生のことを「アンタ」って呼ぶのは日常茶飯事。
「アンタ」って呼ばれても、怒っちゃいけませんよ。
それは、生徒から慕われている証拠なんです。
尾鷲で、生徒から敬語なんて使われたら、どれだけ心の距離が離れているか計りしれません。
ちなみに、尾鷲で「アンタ」は乱暴な言葉ではないんですよ。
尾鷲市のHPでも興味深く紹介されているのですが、この例文はおもしろいですね。
尾鷲の人なら、にやっとするのではないでしょうか。
以下に紹介しますね。
ちなみに市のHPでは、尾鷲弁の敬語は「貧困」だと表現されています。
☆★☆★☆以下、市のHPより抜粋☆★☆★☆
・外来客が、土産物を買い物にいった
客 「すいません」、
店主 「何(ナン)どな」
(いらっしゃいませ。:何も悪意は無い)
客 「何かいい土産がないですか?」
店主 「イ?、ナンジャッテイ」
(ええ?何ですって?)
〜店主は高齢の為、少し耳が遠い
客 何か、店主を怒らせたのかとドキドキしながら、早く用事を済まそうと適当な土産を見つけ・・・
「この、かつをぶしみたいなものを下さい。」
店主 「アイ、ナマブシ(生節)ヤナ」
(はい、生節ですね)
客 「そうです、二ついただけますか?」
〜ここへ店主の孫が学校から帰って来た。
孫 「あー腹へったよー、じいヤン、カシンくれイ」
(お腹すいたから、おじいさん、菓子を頂戴)
店主 「ガッコから帰ってきたとおもたら、カシンくれくればっかいうて、シクダイもせんコーはアンポンタンジャ」
(学校から帰ってきてすぐ、宿題(勉強)もしないで、菓子をねだるような子供はアホだ)
孫 「カシンほしキッテクよー」
(菓子を下さい:キッテクは欲しいを強調している)
店主 「シクダイしてからジャ」
(宿題したら、あげるよ)
〜孫は、寝転がって、漫画の本を読んでいる。
店主 「漫画らぁ、みいよらんと、チャッチャット、シクダイせー」
(漫画なんか読んでいないで、早く(敏速に)宿題をしなさい
:多数形に「ら」をつける場合がある。※「あの子ラ」:あそこの子供たち或いはあそこの人たち)
孫 「ちぇ・・・・」以下、友達の家庭ではケーキとか上品なおやつをすぐに、出してくれるとかの話をしだす。
店主 〜少し興奮して
「なんどー、クドクド、コッペタようなこと云うな、男の子やろ!」
(コラ、男だったら、しつこく、無駄口を叩くな!)
孫 「ちぇっ」
店主の妻 「あんたも、そんなに怒んナイ、ケッアツあがるデ」
(まぁ、まぁ、あなたもそんなに、おこならないで、血圧があがりますよ)
店主 「やかまっしャー、イナ、そんなんやモンデ、この子をたかなしにしたるんジャ」
(うるさい、お前がそんなふうだから、この子がつけあがるんじゃ)
孫 「ちぇっ」
店主 「シワタラコー、云いよらんと、チャッチャトせー!」
(しつこく云ってないで、早く(宿題を)しろ!)
客 〜尾鷲弁に慣れていないので、店主・孫の会話に圧倒され、黙っていたのだが、
列車の時刻が迫ってきたため、精一杯、勇気をふりしぼり・・・
「あの・・」
店主 〜孫を叱りとばして(きつく叱った)いたため、客を待たしていたことに、やっと(ようやく)気付き、すまなそうな顔をして・・
「ごめんイ、待たしたヨー ナマブシやったんナ」
(本当にすみません、お待たせしました、生節ですね)
客 「はい」
店主 「どんなけどナ?」
(孫を叱りとばしていたたため、2個注文されたのを忘れている)
(いくつですか?:普段は、「どんなけ」と云うが、相手はお客さんで、時間待ちをさせたため、精一杯の謝意を表するため、「ドナ」をつけた)
客 「?」
(「ドンナケドナ」の意味がよくわからず、逡巡している)
店主 「いくついるン?」
プーーーーーーーーー!!
〜列車の発車の汽笛が聞こえてきた。
客 〜自分で品物を2つとり、慌てた様子で・・・
「ここ、これだけ下さい!」
「い、いくらですか?」
店主 「○○円です。」
〜客、品物受け取る。
店主 「おおきに」「ごめんイ」
客急いで駅に走る
店主もつらいので(気の毒なので)一緒に走る。
☆★☆★☆以上、市のHPより抜粋☆★☆★☆
普通なら、「菓子」に「御」をつけて、「御菓子(おかし)」でしょ。
でも、尾鷲弁では、語尾に「ン」をつけて、「かしん」なんですよ。
なぜなんでしょうね…。
あと、駄菓子屋に入るときのあいさつにも特徴があります。
「こんにちはー」
なんて言いません。
「売ってー」
と言いながら入って行きます。
するとおばちゃんが、
「はいはい。なんにするどいー」
と言いながら出てくるのです。
お店に「売ってー」って入って行く。
そのままやがな(笑)
わかりやすくていいですよ。
僕だって子どもの頃は、100円玉を握りしめて「売ってー」って駄菓子屋に駆け込んでいったものです。
昔、方言学の授業で習ったのですが、九州地方では、細かい序列を表現する敬語があるそうです。
上から下まである細かい身分に対して、自分の身分をふまえて敬意を表現していたんです。
身分制度や、男女差別が厳しかった九州地方の実情が、言葉に表れているんですね。
敬語がない僕らは、まずそのバックボーンを理解するのに、けっこう時間がかかるだろうなぁ…と思います。
ぜひあなたも尾鷲へ遊びに来て、「敬語の貧困な尾鷲弁」を味わってみてください。
でも、怒らないでね(笑)
悪気はないのよ☆
BGMは、Michael Jacksonの「Black Or White」。
マイケルの作品の中で、この曲はかなり好きですねぇ。
ホントに、歌詞も素晴らしいんですよ。
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