大正12年の文学同人誌 in 九鬼
テーマ:文学
2012年01月30日 15時26分
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毎日寒いですね。
2月1日2日はまた寒いそうです。
尾鷲も雪マークになっていました。
さて、うちの奥さんのお母さんは九鬼出身なんですが、そのお母さんから珍しいものを借りました。
お母さんのお父さん、つまりうちの奥さんのおじいちゃんが、大正時代に九鬼で文学同人誌を作っていたというのです。
↓その表紙がこちら。
「曉明」という同人誌です。
1923とありますから、大正12年になります。
中身も立派なもんです。
ちなみにこれが9号。
9ということはたぶん、月刊だったのでしょうか。
そしてなんと11号では、ちゃんとタイプされ印刷されています。
当時の印刷技術はどうなんでしょうね。
そういえば、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」では、ジョバンニが印刷所で働く場面が出てきます。
その場面がこちら↓。
二、活版所
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅(すみ)の桜(さくら)の木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜(からすうり)を取りに行く相談らしかったのです。
けれどもジョバンニは手を大きく振(ふ)ってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝(えだ)にあかりをつけたりいろいろ仕度(したく)をしているのでした。
家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐ入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴(くつ)をぬいで上りますと、突(つ)き当りの大きな扉(と)をあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いて居(お)りました。
ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子(テーブル)に座(すわ)った人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚(たな)をさがしてから、「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡(わた)しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函(はこ)をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁(かべ)の隅の所へしゃがみ込(こ)むと小さなピンセットでまるで粟粒(あわつぶ)ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらいました。
ジョバンニは何べんも眼を拭(ぬぐ)いながら活字をだんだんひろいました。
六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱(はこ)をもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来ました。その人は黙(だま)ってそれを受け取って微(かす)かにうなずきました。
ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。ジョバンニは俄(にわ)かに顔いろがよくなって威勢(いせい)よくおじぎをすると台の下に置いた鞄(かばん)をもっておもてへ飛びだしました。それから元気よく口笛(くちぶえ)を吹(ふ)きながらパン屋へ寄ってパンの塊(かたまり)を一つと角砂糖を一袋(ふくろ)買いますと一目散(いちもくさん)に走りだしました。
ピンセットで文字を拾っているのは、その文字を並べて文章にして、印刷していたんですね。
ちなみにこの「銀河鉄道の夜」の初稿が執筆されたのは大正13年(1924年)頃だと言われています。
その後、賢治は死ぬまで推敲を繰り返し、最終稿は昭和6年(1931年)頃にできあがったのだとか。
まあ、この最終稿も、賢治にとってはまだ完成形ではなかったと言われていますけども。
・・・ということは、この頃の時代背景として、印刷技術というのはこの物語に出てくるようにピンセットで文字を拾う作業だったのでしょうか。
それとも、賢治はあえて古めかしい印刷方法をジョバンニに選択したのでしょうか。
都会では新しい印刷技術はあったとしても、田舎だとわかりませんよね。
印刷の歴史に詳しくないのでなんとも言えませんが…。
ちなみに、尾鷲印刷(株)にて印刷したそうです。
尾鷲印刷さんに聞いてみたら、わかるのかもしれませんね…。
さて、この大正12年には、関東大震災がありました。
11号では、そのことに触れた記事が書かれています。
なまなましいですね。
この「曉明」は、当時の九鬼の若者の気持ちが伝わるのでおもしろいのですが、何より私が驚いたのは、三重県の尾鷲の、しかも九鬼という一漁村で、こういう同人誌を作る文化的な土壌があったということです。
早田を考えると、昔の人は朝、漁に行き、午後から畑に行き、夜はわらじを編み、その合間に酒を呑むというような生活だったと思います。
そうやって、「生きること、生活すること」に一生懸命なので、例えば「文学」なんていう文化的な土壌は育っていないのではないかと…。
私の思いこみだったらすみません。
でも、こういう文化的な活動ができるということは、まず「学」がないといけませんし、「余裕(お金)」も必要だと思うんです。
生きるため、生活のために必死だと、文学を楽しむゆとりなんてないと思うんですよね。
それだけ、九鬼という町には、同人誌を作ることができるような「学」と「余裕」があったのかな?と。
九鬼水軍の根城であり、ブリの豊漁も多く、町にお金があったのでしょうか。
そういうことが、この同人誌からしのばれるような気がします。
BGMは、さだまさしさんの「童話作家」。
さださんは、宮澤賢治のファンだそうです。
そういえば、「童話作家」「修羅の如く」「セロ弾きのゴーシュ」「聖野菜祭」「イーハトーヴ」などなど、賢治に影響を受けたと思われる楽詩は多いですね。
文学にせよ音楽にせよ美術にせよ、芸術というものは感情を伝える道具だと思うんです。
伝えたいこと(マインド)と伝える手段(テクニック)のどちらも磨かなければ、それは人を感動させることはできないと思うんですよね。
なーんて、たまにはカッコいいことを書いてみました。
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毎日寒いですね。
2月1日2日はまた寒いそうです。
尾鷲も雪マークになっていました。
さて、うちの奥さんのお母さんは九鬼出身なんですが、そのお母さんから珍しいものを借りました。
お母さんのお父さん、つまりうちの奥さんのおじいちゃんが、大正時代に九鬼で文学同人誌を作っていたというのです。
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「曉明」という同人誌です。
1923とありますから、大正12年になります。
中身も立派なもんです。
ちなみにこれが9号。
9ということはたぶん、月刊だったのでしょうか。
そしてなんと11号では、ちゃんとタイプされ印刷されています。
当時の印刷技術はどうなんでしょうね。
そういえば、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」では、ジョバンニが印刷所で働く場面が出てきます。
その場面がこちら↓。
二、活版所
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅(すみ)の桜(さくら)の木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜(からすうり)を取りに行く相談らしかったのです。
けれどもジョバンニは手を大きく振(ふ)ってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝(えだ)にあかりをつけたりいろいろ仕度(したく)をしているのでした。
家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐ入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴(くつ)をぬいで上りますと、突(つ)き当りの大きな扉(と)をあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いて居(お)りました。
ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子(テーブル)に座(すわ)った人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚(たな)をさがしてから、「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡(わた)しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函(はこ)をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁(かべ)の隅の所へしゃがみ込(こ)むと小さなピンセットでまるで粟粒(あわつぶ)ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらいました。
ジョバンニは何べんも眼を拭(ぬぐ)いながら活字をだんだんひろいました。
六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱(はこ)をもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来ました。その人は黙(だま)ってそれを受け取って微(かす)かにうなずきました。
ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。ジョバンニは俄(にわ)かに顔いろがよくなって威勢(いせい)よくおじぎをすると台の下に置いた鞄(かばん)をもっておもてへ飛びだしました。それから元気よく口笛(くちぶえ)を吹(ふ)きながらパン屋へ寄ってパンの塊(かたまり)を一つと角砂糖を一袋(ふくろ)買いますと一目散(いちもくさん)に走りだしました。
ピンセットで文字を拾っているのは、その文字を並べて文章にして、印刷していたんですね。
ちなみにこの「銀河鉄道の夜」の初稿が執筆されたのは大正13年(1924年)頃だと言われています。
その後、賢治は死ぬまで推敲を繰り返し、最終稿は昭和6年(1931年)頃にできあがったのだとか。
まあ、この最終稿も、賢治にとってはまだ完成形ではなかったと言われていますけども。
・・・ということは、この頃の時代背景として、印刷技術というのはこの物語に出てくるようにピンセットで文字を拾う作業だったのでしょうか。
それとも、賢治はあえて古めかしい印刷方法をジョバンニに選択したのでしょうか。
都会では新しい印刷技術はあったとしても、田舎だとわかりませんよね。
印刷の歴史に詳しくないのでなんとも言えませんが…。
ちなみに、尾鷲印刷(株)にて印刷したそうです。
尾鷲印刷さんに聞いてみたら、わかるのかもしれませんね…。
さて、この大正12年には、関東大震災がありました。
11号では、そのことに触れた記事が書かれています。
なまなましいですね。
この「曉明」は、当時の九鬼の若者の気持ちが伝わるのでおもしろいのですが、何より私が驚いたのは、三重県の尾鷲の、しかも九鬼という一漁村で、こういう同人誌を作る文化的な土壌があったということです。
早田を考えると、昔の人は朝、漁に行き、午後から畑に行き、夜はわらじを編み、その合間に酒を呑むというような生活だったと思います。
そうやって、「生きること、生活すること」に一生懸命なので、例えば「文学」なんていう文化的な土壌は育っていないのではないかと…。
私の思いこみだったらすみません。
でも、こういう文化的な活動ができるということは、まず「学」がないといけませんし、「余裕(お金)」も必要だと思うんです。
生きるため、生活のために必死だと、文学を楽しむゆとりなんてないと思うんですよね。
それだけ、九鬼という町には、同人誌を作ることができるような「学」と「余裕」があったのかな?と。
九鬼水軍の根城であり、ブリの豊漁も多く、町にお金があったのでしょうか。
そういうことが、この同人誌からしのばれるような気がします。
BGMは、さだまさしさんの「童話作家」。
さださんは、宮澤賢治のファンだそうです。
そういえば、「童話作家」「修羅の如く」「セロ弾きのゴーシュ」「聖野菜祭」「イーハトーヴ」などなど、賢治に影響を受けたと思われる楽詩は多いですね。
文学にせよ音楽にせよ美術にせよ、芸術というものは感情を伝える道具だと思うんです。
伝えたいこと(マインド)と伝える手段(テクニック)のどちらも磨かなければ、それは人を感動させることはできないと思うんですよね。
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マンボウ死す
テーマ:文学
2011年10月27日 11時42分
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作家の北杜夫氏が24日に亡くなっていたことを知りました。
84歳だそうです。
私にとっては、幼い頃から氏の作品に慣れ親しんでおりましたので、特別な思いがあります。
どくとるマンボウシリーズ。
怪盗ジバゴシリーズ。
さびしいシリーズ。
僕のおじさんなどなど…。
好きな作品をあげると、きりがありません。
初期の、青春の哀愁ただようものは別として、氏の作品はいつでも独特な笑いの要素がちりばめられており、次から次へと読んだ覚えがあります。
幸い我が家には氏の本があふれており、何冊も何度も読んだ結果、私の精神状態に大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。
ところで、北杜夫氏のニックネームは、「マンボウ」。
早田大敷でよく獲れる魚は、「マンボウ」。
・・・いや、ただそれだけなんですけどね。
ちなみにマンボウはとってもおいしい魚です。
また時間を見つけて、眠っている本を読み返してみたいと思います。
御冥福をお祈りいたします。
BGMは、さだまさしさんの「デイジー」。
美しい歌声を、しばしご堪能ください。
コンサートの、最後の最後に演奏される曲です。
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作家の北杜夫氏が24日に亡くなっていたことを知りました。
84歳だそうです。
私にとっては、幼い頃から氏の作品に慣れ親しんでおりましたので、特別な思いがあります。
どくとるマンボウシリーズ。
怪盗ジバゴシリーズ。
さびしいシリーズ。
僕のおじさんなどなど…。
好きな作品をあげると、きりがありません。
初期の、青春の哀愁ただようものは別として、氏の作品はいつでも独特な笑いの要素がちりばめられており、次から次へと読んだ覚えがあります。
幸い我が家には氏の本があふれており、何冊も何度も読んだ結果、私の精神状態に大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。
ところで、北杜夫氏のニックネームは、「マンボウ」。
早田大敷でよく獲れる魚は、「マンボウ」。
・・・いや、ただそれだけなんですけどね。
ちなみにマンボウはとってもおいしい魚です。
また時間を見つけて、眠っている本を読み返してみたいと思います。
御冥福をお祈りいたします。
BGMは、さだまさしさんの「デイジー」。
美しい歌声を、しばしご堪能ください。
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賢治
テーマ:文学
2011年04月29日 10時48分
本日(4月29日)付けの南海日日の「黒潮」欄に、宮澤賢治のことが少し取り上げられていました。
現在の原発事故をふりかえり、
「故井上ひさし氏は、賢治において科学と宗教の間に文学があり、それでバランスが取れていると言っている。「科学」を「経済」に、「宗教」を「心の内の良心」に置き換えると、現在は経済があまりにも優先されている時代ではないだろうか?バランスが大切なのではないだろうか?」
と書かれています。
実は私は賢治の大ファンです。
学生時代は飯を抜いて、賢治全集を揃えました(酒は抜きませんでしたが)。
「宮澤賢治研究会」というサークルまで立ち上げました(運営は後輩まかせでしたが)。
ですので、「宮澤賢治」という漢字4文字を見るだけでうれしくなって、こうやってブログの記事にしてしまうくらいです。
ところで、どうでもいい話ですけども、私はトイレで本を読むくせがあります。
ですので、我が家のトイレには常に何冊かの本が並んでいます。
読み終わったら足がしびれているなんてことは、日常茶飯事です。
最近読んでいるのは、ますむらひろしさんの「イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験 (ちくま新書)」。
ご存じ、ネコが人のように登場するアニメを描いている方として有名ですけども、この方が、「賢治作品(特に銀河鉄道の夜)をマンガ化するにあたって、どのように苦労したか?」が、この本には書かれています。
言わば、マンガ家という視点で賢治を読むとどうなのか?という事が書かれているんです。
いろんな人の賢治論、おもしろいんですよね。
宮澤賢治って、南海日日にも書いてあるんですけど、非常に多面的なんですよ。
地質学者であり、科学者であり、農学者であり、宗教家であり、農民であり、教師であり、文学者でもあります。
それぞれが賢治のなかでバランスが取れていたんです。
バランスが取れていたというか、それを抱え込める能力があったというか…。
作品には、彼のすべての面が表れています。
だから、文学だけやっている人が賢治を読んでも、わけがわかりません。
地質学や宗教の専門用語がポンポン飛び出して、しかもそれぞれがちゃんと意味を内包していますから。
いろんな分野の専門家が賢治を読んだときに、感じることが多種多様であって正解なんですよね。
そういう奥深さを感じるのも、賢治作品を読む楽しさのひとつです。
さらに、賢治の人生もかなり作品に反映されています。
どんな人生だったのか?を知れば、より深く作品を味わうことができるでしょう。
賢治について語り出すときりがないので、今日はこのへんで…。
BGMは、井上陽水さんの「ワカンナイ」。
宮澤賢治をテーマにした曲って、じつはたくさんあります。
これもそのひとつで、題材は「雨ニモ負ケズ」。
この歌詞を聴いて、何を感じるでしょうか?
陽水さんの「GOLDEN BEST」というアルバムに、収録されています。
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現在の原発事故をふりかえり、
「故井上ひさし氏は、賢治において科学と宗教の間に文学があり、それでバランスが取れていると言っている。「科学」を「経済」に、「宗教」を「心の内の良心」に置き換えると、現在は経済があまりにも優先されている時代ではないだろうか?バランスが大切なのではないだろうか?」
と書かれています。
実は私は賢治の大ファンです。
学生時代は飯を抜いて、賢治全集を揃えました(酒は抜きませんでしたが)。
「宮澤賢治研究会」というサークルまで立ち上げました(運営は後輩まかせでしたが)。
ですので、「宮澤賢治」という漢字4文字を見るだけでうれしくなって、こうやってブログの記事にしてしまうくらいです。
ところで、どうでもいい話ですけども、私はトイレで本を読むくせがあります。
ですので、我が家のトイレには常に何冊かの本が並んでいます。
読み終わったら足がしびれているなんてことは、日常茶飯事です。
最近読んでいるのは、ますむらひろしさんの「イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験 (ちくま新書)」。
ご存じ、ネコが人のように登場するアニメを描いている方として有名ですけども、この方が、「賢治作品(特に銀河鉄道の夜)をマンガ化するにあたって、どのように苦労したか?」が、この本には書かれています。
言わば、マンガ家という視点で賢治を読むとどうなのか?という事が書かれているんです。
いろんな人の賢治論、おもしろいんですよね。
宮澤賢治って、南海日日にも書いてあるんですけど、非常に多面的なんですよ。
地質学者であり、科学者であり、農学者であり、宗教家であり、農民であり、教師であり、文学者でもあります。
それぞれが賢治のなかでバランスが取れていたんです。
バランスが取れていたというか、それを抱え込める能力があったというか…。
作品には、彼のすべての面が表れています。
だから、文学だけやっている人が賢治を読んでも、わけがわかりません。
地質学や宗教の専門用語がポンポン飛び出して、しかもそれぞれがちゃんと意味を内包していますから。
いろんな分野の専門家が賢治を読んだときに、感じることが多種多様であって正解なんですよね。
そういう奥深さを感じるのも、賢治作品を読む楽しさのひとつです。
さらに、賢治の人生もかなり作品に反映されています。
どんな人生だったのか?を知れば、より深く作品を味わうことができるでしょう。
賢治について語り出すときりがないので、今日はこのへんで…。
BGMは、井上陽水さんの「ワカンナイ」。
宮澤賢治をテーマにした曲って、じつはたくさんあります。
これもそのひとつで、題材は「雨ニモ負ケズ」。
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