高知のおもろいおんちゃんの講演会
テーマ:活性化
2013年05月12日 10時08分
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おはようございます。
雨があがって、あたたかくなりそうな天気。
今朝は、メインの魚がシイラでした。
…夏ですね…。
シイラ、安い魚ですけども、ハラモの部分を塩焼きすると絶品ですよ。
フライにしても美味いし、新鮮なら刺身でもいけます。
ちなみに今夜、我が家のおかずは、シイラのフライに、ウルメの刺身です。
ふわっとしたウルメの刺身を、一味をちょっとかけた酢味噌につけてほうばったら…。
うまそうでしょ?
食べたいでしょ?(笑)
都会の人は、ウルメの刺身なんてあまり食べる機会はないでしょうけども、美味いんですよー。
そういえば以前、三重の食応援ブログに記事を書いたことがありました。
http://www.pref.mie.lg.jp/CHISANM/HP/mienosyoku/blog/110620iwashimozyako.htm
都会在住の早田出身者のみなさんが見ると、たまらんでしょうねぇ。
おいしさを知っているけど食べられないという…。
すみませんねぇ、写真だけで(笑)
さて、5月8日に、尾鷲市ものづくり塾の一環で、早田コミュニティーセンターにて、松崎了三さんの講演会がありました。
松崎さんのプロフィールはこちら↓
http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-7519.htm
馬路村を“ゆずの村”として全国に浸透させた、高知県馬路村ブランド商品の仕掛け人です。
この高知弁バリバリのおんちゃんの話がまたおもしろい!
今回は開始時間が午後4時ということもあり、約1時間の講演でしたが、かなり大事なことを、笑いもまじえながらわかりやすく丁寧に話してくださいました。
中身の濃い1時間でしたねー。
町の人たちも、「もっと聴きたい」と言っていました。
松崎さん、ありがとうございます。
今度はさおを垂らす時間も込みで…(笑)
ちなみに大学時代高知で過ごした私にとっては、松崎さんの高知弁が心地よく、高知話がリアルに懐かしいのです。
このおんちゃん、ホンマにおもろい!
おもろいだけやなく、かなりスゴイ!
そしてひとつ、忘れてはいけないこと。
「決断よりも行動」です。
何の講演会でもそうですけど、「ええ話やったなぁ。」で終わっては意味がありません。
「ええ話を聴いたけど、これをどうやって早田の取り組みに生かせるやろか。」
ってことを考えて、シナリオを組み立て、行動する。
実際にやってみる。
インプットしたらアウトプット。
ダメだったら変えればいい。
それを繰り返す。
それがなければ、ええ話を聴く意味がないってことですね。
最近は、日々の雑務に時間を取られる私ですが、もっとスキルを上げてテキパキやっていきたいですわ。
BGMは、Bank Bandの「Hero」。
ap bank fes 05の映像ですね。
「なぜこの曲で泣いたのか?」という問いに対して、櫻井さんは、「憧れていた浜田省吾さんと唄うことができて、またミスチルに憧れたというスキマスイッチも出てくれて、「音楽のつながり」ということを感じ、それが歌詞にリンクして、感極まってしまった。」というような話をしていたような。
うろ覚えですけども。
こういうイベントを開催するのはかなりの苦労があったでしょう。
記念すべき1回目ですから、いろいろ思うことがあったと思います。
私も大好きな歌です。
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おはようございます。
雨があがって、あたたかくなりそうな天気。
今朝は、メインの魚がシイラでした。
…夏ですね…。
シイラ、安い魚ですけども、ハラモの部分を塩焼きすると絶品ですよ。
フライにしても美味いし、新鮮なら刺身でもいけます。
ちなみに今夜、我が家のおかずは、シイラのフライに、ウルメの刺身です。
ふわっとしたウルメの刺身を、一味をちょっとかけた酢味噌につけてほうばったら…。
うまそうでしょ?
食べたいでしょ?(笑)
都会の人は、ウルメの刺身なんてあまり食べる機会はないでしょうけども、美味いんですよー。
そういえば以前、三重の食応援ブログに記事を書いたことがありました。
http://www.pref.mie.lg.jp/CHISANM/HP/mienosyoku/blog/110620iwashimozyako.htm
都会在住の早田出身者のみなさんが見ると、たまらんでしょうねぇ。
おいしさを知っているけど食べられないという…。
すみませんねぇ、写真だけで(笑)
さて、5月8日に、尾鷲市ものづくり塾の一環で、早田コミュニティーセンターにて、松崎了三さんの講演会がありました。
松崎さんのプロフィールはこちら↓
http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-7519.htm
馬路村を“ゆずの村”として全国に浸透させた、高知県馬路村ブランド商品の仕掛け人です。
この高知弁バリバリのおんちゃんの話がまたおもしろい!
今回は開始時間が午後4時ということもあり、約1時間の講演でしたが、かなり大事なことを、笑いもまじえながらわかりやすく丁寧に話してくださいました。
中身の濃い1時間でしたねー。
町の人たちも、「もっと聴きたい」と言っていました。
松崎さん、ありがとうございます。
今度はさおを垂らす時間も込みで…(笑)
ちなみに大学時代高知で過ごした私にとっては、松崎さんの高知弁が心地よく、高知話がリアルに懐かしいのです。
このおんちゃん、ホンマにおもろい!
おもろいだけやなく、かなりスゴイ!
そしてひとつ、忘れてはいけないこと。
「決断よりも行動」です。
何の講演会でもそうですけど、「ええ話やったなぁ。」で終わっては意味がありません。
「ええ話を聴いたけど、これをどうやって早田の取り組みに生かせるやろか。」
ってことを考えて、シナリオを組み立て、行動する。
実際にやってみる。
インプットしたらアウトプット。
ダメだったら変えればいい。
それを繰り返す。
それがなければ、ええ話を聴く意味がないってことですね。
最近は、日々の雑務に時間を取られる私ですが、もっとスキルを上げてテキパキやっていきたいですわ。
BGMは、Bank Bandの「Hero」。
ap bank fes 05の映像ですね。
「なぜこの曲で泣いたのか?」という問いに対して、櫻井さんは、「憧れていた浜田省吾さんと唄うことができて、またミスチルに憧れたというスキマスイッチも出てくれて、「音楽のつながり」ということを感じ、それが歌詞にリンクして、感極まってしまった。」というような話をしていたような。
うろ覚えですけども。
こういうイベントを開催するのはかなりの苦労があったでしょう。
記念すべき1回目ですから、いろいろ思うことがあったと思います。
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母のこと
テーマ:個人的
2013年05月06日 11時28分
ほんとうにひさしぶりの更新です。
みなさん、お元気でしょうか。
4月7日に母が急逝しました。
享年68歳でした。
みなさんご存知のように、とても明るく、人一倍元気で、面倒見がよくて、たくさんの方に愛され、慕われた母でした。
4月14日にお琴の発表会があるからと、一生懸命練習をしていたのですが、練習に出かけて三味線を抱えたまま倒れ、そのまま帰ってきませんでした。
さっきまで元気だった人が急にいなくなるというのは、なかなか言葉にはできませんね。
すみませんが、気持ちを整理するのに、この場で母のことを書かせてください。
4月7日、その日は日曜日でしたので、午前中市場での仕事が終わり、私は自宅にいました。
「ひさしぶりにどこかドライブでも行こうか」
と、奥さんと話していると、奥さんの両親が遊びに来てくれて、ドライブには行かず話をしていました。
13:30頃でしょうか。
お琴のお師匠さん宅から、「お母さんが倒れて救急車を呼んだ。すぐに来なさい。」という電話が。
よくわからないまま、みんなで向かうと心肺停止状態で心臓マッサージをされている母が。
父も自宅で連絡を受け、現場に急行していました。
救急車に乗せられ、総合病院に運ばれ、蘇生措置を受けましたが、14:07にお医者さんから、
「心肺停止状態になってもう40分程度がたった。これ以上措置を続けても、蘇生する見込みは非常に少ない。また、万が一蘇生できたとしても、大きな障害が残ることになる。」という説明を受け、死亡確認になりました。
ほんとうに、あっというまの出来事でした。
「光太君、びっくりしたやろ」と、たくさんの人が言ってくれましたが、びっくりというかなんというか、よくわからない。
きっと悪い夢でも見ているのだろう。
もしかしたら、一晩寝て起きたら、また母が朝ご飯の準備をしているのではないか。
ほんとうによくわからないまま、眠るように死んでいる母を見ていました。
死因は、急性心筋梗塞による心破裂とのこと。
心筋梗塞によって心臓の壁がもろくなり、そこから血液が流れ出てしまう病気だそうです。
高齢の女性に多く、初回の心筋梗塞時に発症しやすいようです。
母は、もともと健康だったというのもありましたが、病院に行かない人でした。
死ぬ2,3日前から胸が痛いと言っていたのですが、たまたまこけた後だったこともあり、「こけたときに胸でもうったのだろう」と本人が話していたので、そうなんだろうと皆が思っていました。
思えばあのとき無理矢理にでも病院に連れて行っていれば…というのは、もう後の祭りです。
「母が亡くなった」ということを親戚中に電話したとき、「うちのお母さんが…」と言っても、「はあ?誰のお母さんが?」と、みんな信じてくれなかった。
それくらい、元気な母でした。
私は前日も一緒にご飯を食べて、「胸が痛くて肩がこった」というので肩をもんで、「14日の発表会に来る予定の○○おばちゃんと○○おばちゃんを、それぞれ家まで送ってあげて」というような話をしたのですけどね。
お通夜、お葬式には、びっくりするほどたくさんの方が来てくださいました。
母がたくさんの方に慕われていたんだということがわかりました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
ありがとうございます。
私の友人もたくさん来てくれました。
私が小さい頃から、友人が我が家に来ると、母が作った手料理を食べさせ、わけへだてなくかわいがってくれました。
まあしかしなんていうか…。
私が挨拶をしたのですが、母の葬儀の挨拶なんて、まだ10年20年先のことだと思っていたんですけどね…。
お葬式のあと、娘(4歳)が、「焼き場へ行きたい」とだだをこねました。
4歳なので、焼き場という言葉はわからないのですが、車の窓から見て、「あそこに行く!」と言い張ったのです。
結局、用もないのでそのまま帰って来たのですが、自宅で、「なんで娘は焼き場に行きたがったんだろう?」とみんなで話した結果、「焼き場で大好きなおばあちゃんがいなくなったから、不思議だったのだろう。あそこに行けば、おばあちゃんがいると思うのではないか。」という仮定に落ち着きました。
どうもよく聞くと、昔親戚のおじさんが亡くなったときに、私も同じことを言ったようです。
娘は、「死んだ」という言葉を聞いても、その意味がわかりません。
毎日おばあちゃんの遺影に手を合わせて線香をあげても、それが何のことなのかわからないのです。
ですから今でも、「今日はおばあちゃんいない」とか、「いつ帰ってくるの」と言ったりします。
そりゃ、お父さんだって、おばあちゃんには帰ってきてほしいさ。
まだまだ教えてもらうことがたくさんあった。
聞きたいこともたくさんあった。
話したいこともたくさんありました。
私は、両親が結婚して10年目にやっとできた一人っ子で、父が遠洋漁船に乗っていて半年とか一年、家にいないこともあり、母と二人で過ごす時間が長かったのです。
大きくなってからでも、母と話す時間が、母と過ごす時間が、とても大好きでした。
世の中には、「仲が悪い親子、親を尊敬できない子」というのはたくさんあるのでしょうけれど、私にはとても信じられなかった。
「帰ってきてほしい」なんて言ったらダメなんでしょうけども。
でもそう言いたくなる。
ちょっと、いや、かなり早すぎるんじゃないかと思う。
よくわからないまま、明日で一ヶ月です。
もしかしたら母は、 私がこのブログを書いている画面をのぞきこんで、「あんまり女々しいことを書くな」と笑っているかもしれません。
これまで母に頼っていたこと、甘えていたことを、今後は残された家族でやっていくことになります。
自分が成長するいい機会だととらえて、周りの人を大事にしてやっていくことなんだと思っています。
キンヤの拓子さんはもうおりませんけども、「さすがたっこさんの子やねぇ」と言われるよう、前を向いていきます。
なんだかなぁ。
でも、名古屋から地元に帰ってきてよかった。
たくさん迷惑をかけたけれども。
親不孝ばかりだったけれども。
孫の一番かわいいときに、一番近くにいることができてよかった。
もちろん親孝行の仕方は人それぞれであり、気持ちが大事だと思うんですけどね。
でも、私は近くにいることができてよかったと思う。
ホントはもっとこれから少しでも返していきたいと思っていたところだった。
それに、これからも孫の成長を近くで見ていたかっただろうけども、きっと母は、どこかで見守っていてくれるでしょう。
なにより、死んだということに一番驚いているのは、他でもない、母自身かもしれません。
今回、いろんな人にいろんな話をしていただいたのですが、「大事な人が突然いなくなる」ってことをすでに経験された方たちからは、「お父さんと光太君は、まだバタバタしているからわかっていないと思う。時間が経つにつれ、喪失感が大きくなるよ。」と、言われました。
確かに、今はまだよくわかっていない。
「ほんとうにいないんだ」ってことを、少しずつ、頭でも心でも理解していくのでしょう。
言いたいことはたくさんあるんですが、もうキリがないので、ここらへんでやめておきます。
このブログを見ている方は、私が知らない母のこともたくさんご存知だと思うので、また機会があったら教えてくださるとありがたいです。
さて、1ヶ月、ブログもフェイスブックもお休みしましたが、また今日から定期的に更新していきますよー。
休んだというか、ちゃんと母のことを書いてからじゃないと、他のことを書く気分になれなかったというのが本音ですけどね。
ご心配おかけしました。
今後ともよろしくお願いいたします。
BGMは、Boyz 2 Menの「A Song For Mama」。
みなさんもぜひ親孝行してくださいね。
大事な人を大事にしてください。
母が急にいなくなるなんて、まさか自分の身に起こると思ってもいなかった、私からのお願いです。
みなさん、お元気でしょうか。
4月7日に母が急逝しました。
享年68歳でした。
みなさんご存知のように、とても明るく、人一倍元気で、面倒見がよくて、たくさんの方に愛され、慕われた母でした。
4月14日にお琴の発表会があるからと、一生懸命練習をしていたのですが、練習に出かけて三味線を抱えたまま倒れ、そのまま帰ってきませんでした。
さっきまで元気だった人が急にいなくなるというのは、なかなか言葉にはできませんね。
すみませんが、気持ちを整理するのに、この場で母のことを書かせてください。
4月7日、その日は日曜日でしたので、午前中市場での仕事が終わり、私は自宅にいました。
「ひさしぶりにどこかドライブでも行こうか」
と、奥さんと話していると、奥さんの両親が遊びに来てくれて、ドライブには行かず話をしていました。
13:30頃でしょうか。
お琴のお師匠さん宅から、「お母さんが倒れて救急車を呼んだ。すぐに来なさい。」という電話が。
よくわからないまま、みんなで向かうと心肺停止状態で心臓マッサージをされている母が。
父も自宅で連絡を受け、現場に急行していました。
救急車に乗せられ、総合病院に運ばれ、蘇生措置を受けましたが、14:07にお医者さんから、
「心肺停止状態になってもう40分程度がたった。これ以上措置を続けても、蘇生する見込みは非常に少ない。また、万が一蘇生できたとしても、大きな障害が残ることになる。」という説明を受け、死亡確認になりました。
ほんとうに、あっというまの出来事でした。
「光太君、びっくりしたやろ」と、たくさんの人が言ってくれましたが、びっくりというかなんというか、よくわからない。
きっと悪い夢でも見ているのだろう。
もしかしたら、一晩寝て起きたら、また母が朝ご飯の準備をしているのではないか。
ほんとうによくわからないまま、眠るように死んでいる母を見ていました。
死因は、急性心筋梗塞による心破裂とのこと。
心筋梗塞によって心臓の壁がもろくなり、そこから血液が流れ出てしまう病気だそうです。
高齢の女性に多く、初回の心筋梗塞時に発症しやすいようです。
母は、もともと健康だったというのもありましたが、病院に行かない人でした。
死ぬ2,3日前から胸が痛いと言っていたのですが、たまたまこけた後だったこともあり、「こけたときに胸でもうったのだろう」と本人が話していたので、そうなんだろうと皆が思っていました。
思えばあのとき無理矢理にでも病院に連れて行っていれば…というのは、もう後の祭りです。
「母が亡くなった」ということを親戚中に電話したとき、「うちのお母さんが…」と言っても、「はあ?誰のお母さんが?」と、みんな信じてくれなかった。
それくらい、元気な母でした。
私は前日も一緒にご飯を食べて、「胸が痛くて肩がこった」というので肩をもんで、「14日の発表会に来る予定の○○おばちゃんと○○おばちゃんを、それぞれ家まで送ってあげて」というような話をしたのですけどね。
お通夜、お葬式には、びっくりするほどたくさんの方が来てくださいました。
母がたくさんの方に慕われていたんだということがわかりました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
ありがとうございます。
私の友人もたくさん来てくれました。
私が小さい頃から、友人が我が家に来ると、母が作った手料理を食べさせ、わけへだてなくかわいがってくれました。
まあしかしなんていうか…。
私が挨拶をしたのですが、母の葬儀の挨拶なんて、まだ10年20年先のことだと思っていたんですけどね…。
お葬式のあと、娘(4歳)が、「焼き場へ行きたい」とだだをこねました。
4歳なので、焼き場という言葉はわからないのですが、車の窓から見て、「あそこに行く!」と言い張ったのです。
結局、用もないのでそのまま帰って来たのですが、自宅で、「なんで娘は焼き場に行きたがったんだろう?」とみんなで話した結果、「焼き場で大好きなおばあちゃんがいなくなったから、不思議だったのだろう。あそこに行けば、おばあちゃんがいると思うのではないか。」という仮定に落ち着きました。
どうもよく聞くと、昔親戚のおじさんが亡くなったときに、私も同じことを言ったようです。
娘は、「死んだ」という言葉を聞いても、その意味がわかりません。
毎日おばあちゃんの遺影に手を合わせて線香をあげても、それが何のことなのかわからないのです。
ですから今でも、「今日はおばあちゃんいない」とか、「いつ帰ってくるの」と言ったりします。
そりゃ、お父さんだって、おばあちゃんには帰ってきてほしいさ。
まだまだ教えてもらうことがたくさんあった。
聞きたいこともたくさんあった。
話したいこともたくさんありました。
私は、両親が結婚して10年目にやっとできた一人っ子で、父が遠洋漁船に乗っていて半年とか一年、家にいないこともあり、母と二人で過ごす時間が長かったのです。
大きくなってからでも、母と話す時間が、母と過ごす時間が、とても大好きでした。
世の中には、「仲が悪い親子、親を尊敬できない子」というのはたくさんあるのでしょうけれど、私にはとても信じられなかった。
「帰ってきてほしい」なんて言ったらダメなんでしょうけども。
でもそう言いたくなる。
ちょっと、いや、かなり早すぎるんじゃないかと思う。
よくわからないまま、明日で一ヶ月です。
もしかしたら母は、 私がこのブログを書いている画面をのぞきこんで、「あんまり女々しいことを書くな」と笑っているかもしれません。
これまで母に頼っていたこと、甘えていたことを、今後は残された家族でやっていくことになります。
自分が成長するいい機会だととらえて、周りの人を大事にしてやっていくことなんだと思っています。
キンヤの拓子さんはもうおりませんけども、「さすがたっこさんの子やねぇ」と言われるよう、前を向いていきます。
なんだかなぁ。
でも、名古屋から地元に帰ってきてよかった。
たくさん迷惑をかけたけれども。
親不孝ばかりだったけれども。
孫の一番かわいいときに、一番近くにいることができてよかった。
もちろん親孝行の仕方は人それぞれであり、気持ちが大事だと思うんですけどね。
でも、私は近くにいることができてよかったと思う。
ホントはもっとこれから少しでも返していきたいと思っていたところだった。
それに、これからも孫の成長を近くで見ていたかっただろうけども、きっと母は、どこかで見守っていてくれるでしょう。
なにより、死んだということに一番驚いているのは、他でもない、母自身かもしれません。
今回、いろんな人にいろんな話をしていただいたのですが、「大事な人が突然いなくなる」ってことをすでに経験された方たちからは、「お父さんと光太君は、まだバタバタしているからわかっていないと思う。時間が経つにつれ、喪失感が大きくなるよ。」と、言われました。
確かに、今はまだよくわかっていない。
「ほんとうにいないんだ」ってことを、少しずつ、頭でも心でも理解していくのでしょう。
言いたいことはたくさんあるんですが、もうキリがないので、ここらへんでやめておきます。
このブログを見ている方は、私が知らない母のこともたくさんご存知だと思うので、また機会があったら教えてくださるとありがたいです。
さて、1ヶ月、ブログもフェイスブックもお休みしましたが、また今日から定期的に更新していきますよー。
休んだというか、ちゃんと母のことを書いてからじゃないと、他のことを書く気分になれなかったというのが本音ですけどね。
ご心配おかけしました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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みなさんもぜひ親孝行してくださいね。
大事な人を大事にしてください。
母が急にいなくなるなんて、まさか自分の身に起こると思ってもいなかった、私からのお願いです。