浅間さん
テーマ:ふるさと
2011年01月27日 16時42分
早田の方でも知らない人が多いと言われている、「浅間(せんげん)さん」。
市場を臨む小高い山の上にある、大日如来様です。
浅間さんというのは、浅間神社からきているのでしょうか?
山岳信仰のひとつで、全国あちらこちらにあるそうです。
で、こないだ、組合長と伴子さんに案内してもらって、登ってきました。
生まれてこのかた、ずっと早田に来ていますけども、ここに登ったのは・・・もしかしたら初めて?かもしれません。
記憶にないんです。
覚えてないだけかもしれませんけどね。
昔、畑に通ったような懐かしい山道をどんどん登って行きます。
↑こんな急斜面をどんどん登って行くんですよ。
迷いそうですね。
↑道の途中で、町がかすかに見えます。
↑浅間さんにたどり着きました!
この日の浅間さんは、日が当たって笑っているような表情でした。
伴子さんによると、浅間さんの表情は日によって変わるそうで、さらに顔に日が当たることもなかなかないそうで、「初めて来てこんな浅間さんが見えるとは、あんたは運がいい!」とのことでした。
浅間さんがある一帯には、クスノキが何本かあります。
↑どれも大きくて立派な木ばかりです。
さらにもう少し上に登ったところからの写真。
↑木がなかったら、早田の港が眺められるのかもしれません。
子どもたちにとっては、基地を作ったり、ツリーハウスを作ったりできる、格好の遊び場ですよね。
っていうか、僕も参加したいです(笑)
↑浅間さんの下には、御神灯が設置されています。
左右に書いてある字は、
↑「早田浦若者中」。
↑「寛政七年卯三月吉日」。
寛政7年というのは、1795年。
江戸時代ですねー。
杉田玄白や、伊能忠敬が活躍した時代です。
その頃、早田に町があったんですね。
こういう肌で感じる歴史って、ホントにおもしろいし興味深いですよね。
早田の歴史に関しては、こちら↓のホームページが詳しいのでぜひご覧下さい。
http://park17.wakwak.com/~haidaura/index.html
素晴らしいホームページですよね!
ね?日和良さん?(笑)
↓さて、こんな岩も見つけました。
ちょっとピンボケですみません。
とんでもなく大きな岩なのですが、斜面にとどまっています。
じつは、細い木が1本で支えているのです。
もしもこの木が折れてしまったら、まっさかさまに市場に落ちてくるのでは・・・?と心配になりました。
山道は、帰りが危険です。転げ落ちないように気をつけて戻ってきました。
↑これは、猪垣の跡です。
イノシシが町に入ってこないように、昔の人がぐるりと町のまわりを石垣で囲んだものだそうです。
これは、館長が調べて写真を撮っているそうです。
というわけで、初めての浅間さんでした。
これで僕も早田を制覇したのでしょうか?(笑)
もしも、子どもたち向けに町歩きのプログラムを作るのなら、絶対にコースに組み入れたい場所だと思いました。
というか、浅間さんの山遊びだけで、半日くらい終わりそうですね。
あとひとつ思ったのは、昔は、今のように木が生い茂っていなかったのではないか?ということです。
木がなかったら、早田港を見下ろせる格好の位置だと思うんです。
そういう場所に、「どうぞ見守りください」と、浅間さんを設置したのかもしれません。
もしかしたら、寛政7年頃には、今と全く違った景色だったのかもしれませんね。
今となっては、確かめるすべもない仮説ですけども、僕はそう思いました。
組合長、伴子さん、ありがとうございました。
BGMは、さだまさしさんの「道化師のソネット」。
http://www.youtube.com/watch?v=cl6NXV73jSE
相変わらずYouTubeの動画が埋め込めないので、アドレスだけ貼り付けときます。
調子が悪いのかな?
昔々の、髪の毛がある時代のさださんです。声が美しすぎる…。
なんでこの曲にしたのかというと・・・、「山」に関する歌詞があるからなんですね。
いい歌ですよー。
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市場を臨む小高い山の上にある、大日如来様です。
浅間さんというのは、浅間神社からきているのでしょうか?
山岳信仰のひとつで、全国あちらこちらにあるそうです。
で、こないだ、組合長と伴子さんに案内してもらって、登ってきました。
生まれてこのかた、ずっと早田に来ていますけども、ここに登ったのは・・・もしかしたら初めて?かもしれません。
記憶にないんです。
覚えてないだけかもしれませんけどね。
昔、畑に通ったような懐かしい山道をどんどん登って行きます。
↑こんな急斜面をどんどん登って行くんですよ。
迷いそうですね。
↑道の途中で、町がかすかに見えます。
↑浅間さんにたどり着きました!
この日の浅間さんは、日が当たって笑っているような表情でした。
伴子さんによると、浅間さんの表情は日によって変わるそうで、さらに顔に日が当たることもなかなかないそうで、「初めて来てこんな浅間さんが見えるとは、あんたは運がいい!」とのことでした。
浅間さんがある一帯には、クスノキが何本かあります。
↑どれも大きくて立派な木ばかりです。
さらにもう少し上に登ったところからの写真。
↑木がなかったら、早田の港が眺められるのかもしれません。
子どもたちにとっては、基地を作ったり、ツリーハウスを作ったりできる、格好の遊び場ですよね。
っていうか、僕も参加したいです(笑)
↑浅間さんの下には、御神灯が設置されています。
左右に書いてある字は、
↑「早田浦若者中」。
↑「寛政七年卯三月吉日」。
寛政7年というのは、1795年。
江戸時代ですねー。
杉田玄白や、伊能忠敬が活躍した時代です。
その頃、早田に町があったんですね。
こういう肌で感じる歴史って、ホントにおもしろいし興味深いですよね。
早田の歴史に関しては、こちら↓のホームページが詳しいのでぜひご覧下さい。
http://park17.wakwak.com/~haidaura/index.html
素晴らしいホームページですよね!
ね?日和良さん?(笑)
↓さて、こんな岩も見つけました。
ちょっとピンボケですみません。
とんでもなく大きな岩なのですが、斜面にとどまっています。
じつは、細い木が1本で支えているのです。
もしもこの木が折れてしまったら、まっさかさまに市場に落ちてくるのでは・・・?と心配になりました。
山道は、帰りが危険です。転げ落ちないように気をつけて戻ってきました。
↑これは、猪垣の跡です。
イノシシが町に入ってこないように、昔の人がぐるりと町のまわりを石垣で囲んだものだそうです。
これは、館長が調べて写真を撮っているそうです。
というわけで、初めての浅間さんでした。
これで僕も早田を制覇したのでしょうか?(笑)
もしも、子どもたち向けに町歩きのプログラムを作るのなら、絶対にコースに組み入れたい場所だと思いました。
というか、浅間さんの山遊びだけで、半日くらい終わりそうですね。
あとひとつ思ったのは、昔は、今のように木が生い茂っていなかったのではないか?ということです。
木がなかったら、早田港を見下ろせる格好の位置だと思うんです。
そういう場所に、「どうぞ見守りください」と、浅間さんを設置したのかもしれません。
もしかしたら、寛政7年頃には、今と全く違った景色だったのかもしれませんね。
今となっては、確かめるすべもない仮説ですけども、僕はそう思いました。
組合長、伴子さん、ありがとうございました。
BGMは、さだまさしさんの「道化師のソネット」。
http://www.youtube.com/watch?v=cl6NXV73jSE
相変わらずYouTubeの動画が埋め込めないので、アドレスだけ貼り付けときます。
調子が悪いのかな?
昔々の、髪の毛がある時代のさださんです。声が美しすぎる…。
なんでこの曲にしたのかというと・・・、「山」に関する歌詞があるからなんですね。
いい歌ですよー。
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