尾鷲元気プロジェクト
テーマ:活性化
2012年09月13日 17時37分
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本日3発目の記事!
ホントはこれを真っ先に書きたかったんですけどね…。
どんなふうにまとめるべきなのか…。
いろいろ考えていたのですが…。
9月5日〜7日まで、尾鷲市のなかの九鬼、早田、三木浦、三木里の4地区に、慶應義塾大学飯盛研究室のゼミ生たちが、来ていました。
これは、尾鷲元気プロジェクトという事業の一環で、地域活性化提言に定評のあるこのゼミ生のみなさんに地区に入ってもらい、地区のことを学んだうえで、その地区が元気になるための提言をするという取組です。
初日、尾鷲市に来られたみなさんは、市長を表敬訪問したあと、それぞれの地区に入りました。
そして早田では、コミュニティセンターにて、まず地区のこと、これまでの取組を学んでもらい、その後、地区住民との意見交換会がおこなわれました。
※なお、この記事の写真はすべて、市役所の担当者さんが撮ったものを使わせていただきます。
真剣な顔で話を聞く学生さん。
この写真には、悪意が感じられますねぇ…(笑)
その日は、その日のまとめをして終了。
夜は、早田のおいしいものを食べて、楽しく飲みました。
が、驚いたことに、夜中私が寝たあとも、彼らは1日目の意見交換会のまとめをしていたようです。
翌日フェイスブックを見て、びっくりしました。
そして2日目。
早朝、男の子たちは船で釣りへ。
朝ご飯後、2班に分かれて町歩き。
そして午後からまた、意見交換会。
意見をまとめて発表しました。
そしてその夜、ご飯を食べたあと、なんと学生のみなさんは、徹夜で話し合い&翌日の資料作成。
私も深夜1時頃まで付き合いましたが、みなさんの議論がスゴイ!
横で聞いていて感服しました。
いや、感動しました。
よく知っているし、よく勉強してるし、よく地区のみなさんの話を聞いているし、いろんなアイデアが出てくるし、いろんな見方ができるし…。
スゴイ…。
君たち、ホントに大学生なの??(笑)
って言いたくなるくらい(笑)
この学生さんたちが、どれだけ早田のことを考えて議論しているのか。
この様子を、早田のみんなに、そしてこのブログを読んでくれているみなさんに、ぜひとも見てほしいと思いました。
ホントに、心の底から思いましたよ。
早田の人たちが、この様子を見て、これだけ学生さんががんばってくれているのは、自分たちのことなんだと。
自分たちのことを、一生懸命考えてくれているんだと。
だったら早田の人たちもがんばらなアカンやないかと。
正直、そういう思いを持ちました。
だから、はいだ新聞やはいだブログで、この思いを早く伝えたいと思ったのです。
ちょっと遅くなりましたけど(笑)
そしていよいよ3日目。
学生さんたちは、寝ないで発表会場へと。
学生さんたちには、
「提言、期待しとくよ!」
なんて、エラそうなことを言いましたけど、心の中では頭の下がる思いでした。
じつは、ここだけの話、3日目の提言発表は、三木里でありました。
なので、住民のなかには、「わざわざ三木里まで行かなアカンのやったら、ちょっと…」という尻込みした意見も多かったのです。
けれど、
「あの子たちがどれだけがんばったと思うの!絶対見に行ってくれ!見に行かないと、早田があの子たちを迎えた意味がないよ!みんなで話したことを、あの子たちがどんな意見にしてくれたのか、それを見に行かなアカン!」
と、口説き落として連れて行きました(笑)
提言してもらった内容も、組合長曰く、
「どんぴしゃ」
早田は、これまで活動してきた経緯があるし、単純な商品開発などではなく、「町づくり」ということを中心にすえて動いているので、もしかすると、なかなかまとめるのが難しかったかもしれません。
けれど、魅力的な案がたくさんありました。
ホントに、心からありがとうと言いたいです。
そして、提言してもらったあと、実際に動いていくこと。
これは、地区がすべきことです。
他の誰がしてくれるわけでもありません。
一過性のお祭りにすることなく、飯盛ゼミと地区がお互いに協力しあって事業を進めるには、「実際に動くこと」が不可欠なのです。
動かなければ、どんな画期的な案も、絵に描いた餅と同じ。
動くのは学生ではなく、地区です。
「あんたらよく知っとるで、活性化やっといて。」
そんな話、あるわけない。
私も、この3日間でたくさんの刺激をもらいました。
それを地区に伝え、地区外に伝え、実際に動くことで、飯盛ゼミのみんなが「また早田に来たい!」と思ってくれるような、そんな魅力的な地区になるように。
動いていけたらと思います。
お疲れ様でした!
ありがとう!!
今度は、魚がある時期に待っとるで!(笑)
また楽しく話しょーらい!!
ちょっと急ぎ足になりましたが、どうしても今日中にこの記事は書いておきたかったのです。
BGMは、浜田省吾さんの「青空のゆくえ」。
大きな歌です。
そしてまたこのライブバージョンがいいんだ。
最初のギターがいいんだ。
この歌も思い出がありすぎて…(笑)
大好きな歌です。
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ホントはこれを真っ先に書きたかったんですけどね…。
どんなふうにまとめるべきなのか…。
いろいろ考えていたのですが…。
9月5日〜7日まで、尾鷲市のなかの九鬼、早田、三木浦、三木里の4地区に、慶應義塾大学飯盛研究室のゼミ生たちが、来ていました。
これは、尾鷲元気プロジェクトという事業の一環で、地域活性化提言に定評のあるこのゼミ生のみなさんに地区に入ってもらい、地区のことを学んだうえで、その地区が元気になるための提言をするという取組です。
初日、尾鷲市に来られたみなさんは、市長を表敬訪問したあと、それぞれの地区に入りました。
そして早田では、コミュニティセンターにて、まず地区のこと、これまでの取組を学んでもらい、その後、地区住民との意見交換会がおこなわれました。
※なお、この記事の写真はすべて、市役所の担当者さんが撮ったものを使わせていただきます。
真剣な顔で話を聞く学生さん。
この写真には、悪意が感じられますねぇ…(笑)
その日は、その日のまとめをして終了。
夜は、早田のおいしいものを食べて、楽しく飲みました。
が、驚いたことに、夜中私が寝たあとも、彼らは1日目の意見交換会のまとめをしていたようです。
翌日フェイスブックを見て、びっくりしました。
そして2日目。
早朝、男の子たちは船で釣りへ。
朝ご飯後、2班に分かれて町歩き。
そして午後からまた、意見交換会。
意見をまとめて発表しました。
そしてその夜、ご飯を食べたあと、なんと学生のみなさんは、徹夜で話し合い&翌日の資料作成。
私も深夜1時頃まで付き合いましたが、みなさんの議論がスゴイ!
横で聞いていて感服しました。
いや、感動しました。
よく知っているし、よく勉強してるし、よく地区のみなさんの話を聞いているし、いろんなアイデアが出てくるし、いろんな見方ができるし…。
スゴイ…。
君たち、ホントに大学生なの??(笑)
って言いたくなるくらい(笑)
この学生さんたちが、どれだけ早田のことを考えて議論しているのか。
この様子を、早田のみんなに、そしてこのブログを読んでくれているみなさんに、ぜひとも見てほしいと思いました。
ホントに、心の底から思いましたよ。
早田の人たちが、この様子を見て、これだけ学生さんががんばってくれているのは、自分たちのことなんだと。
自分たちのことを、一生懸命考えてくれているんだと。
だったら早田の人たちもがんばらなアカンやないかと。
正直、そういう思いを持ちました。
だから、はいだ新聞やはいだブログで、この思いを早く伝えたいと思ったのです。
ちょっと遅くなりましたけど(笑)
そしていよいよ3日目。
学生さんたちは、寝ないで発表会場へと。
学生さんたちには、
「提言、期待しとくよ!」
なんて、エラそうなことを言いましたけど、心の中では頭の下がる思いでした。
じつは、ここだけの話、3日目の提言発表は、三木里でありました。
なので、住民のなかには、「わざわざ三木里まで行かなアカンのやったら、ちょっと…」という尻込みした意見も多かったのです。
けれど、
「あの子たちがどれだけがんばったと思うの!絶対見に行ってくれ!見に行かないと、早田があの子たちを迎えた意味がないよ!みんなで話したことを、あの子たちがどんな意見にしてくれたのか、それを見に行かなアカン!」
と、口説き落として連れて行きました(笑)
提言してもらった内容も、組合長曰く、
「どんぴしゃ」
早田は、これまで活動してきた経緯があるし、単純な商品開発などではなく、「町づくり」ということを中心にすえて動いているので、もしかすると、なかなかまとめるのが難しかったかもしれません。
けれど、魅力的な案がたくさんありました。
ホントに、心からありがとうと言いたいです。
そして、提言してもらったあと、実際に動いていくこと。
これは、地区がすべきことです。
他の誰がしてくれるわけでもありません。
一過性のお祭りにすることなく、飯盛ゼミと地区がお互いに協力しあって事業を進めるには、「実際に動くこと」が不可欠なのです。
動かなければ、どんな画期的な案も、絵に描いた餅と同じ。
動くのは学生ではなく、地区です。
「あんたらよく知っとるで、活性化やっといて。」
そんな話、あるわけない。
私も、この3日間でたくさんの刺激をもらいました。
それを地区に伝え、地区外に伝え、実際に動くことで、飯盛ゼミのみんなが「また早田に来たい!」と思ってくれるような、そんな魅力的な地区になるように。
動いていけたらと思います。
お疲れ様でした!
ありがとう!!
今度は、魚がある時期に待っとるで!(笑)
また楽しく話しょーらい!!
ちょっと急ぎ足になりましたが、どうしても今日中にこの記事は書いておきたかったのです。
BGMは、浜田省吾さんの「青空のゆくえ」。
大きな歌です。
そしてまたこのライブバージョンがいいんだ。
最初のギターがいいんだ。
この歌も思い出がありすぎて…(笑)
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買舞とは?
テーマ:ふるさと
2012年09月13日 12時53分
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本日2発目のブログ。
今日はもう1つ書きたいことがありますので、どんどんいきます。
↑早田の港につながれたマンボウ。
何日か前に、フェイスブックでこのリンクをシェアしました。↓
北海道で『マンボウ』が大漁!しかし食べずに海に戻すそうです。
http://matome.naver.jp/odai/2134717025688343101
↑この記事を読んで、「食べずに戻すのはもったいない。」というようなことを書いたら、とある友人から、コメントをいただきました。
そのコメントをここに抜粋。
〜〜〜ここから〜〜〜〜
三重の南部はマンボウ食べますからねぇ。
僕は北部の人間ですが、昔親の実家が買舞(生活必需品を尾鷲方面に運び、帰りに魚を買い上げる商売)やってた関係で食べてたようで、今でも食卓に上ることがまれにあります。
マンボウを食べるっていう話をすると、たいていの人に驚かれます。
〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜
買舞??
「買舞」って何?
と思って、検索してみると(便利な世の中になったものです)、このページが出てきました。↓
赤須賀村
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11209,234,408,html
このページの文章を、以下に抜粋。
〜〜〜〜ここから〜〜〜〜
赤須賀には永禄4年(1561年)に三河国市場村(現在の愛知県幸田町)から移住してきた人たちが住みつき、漁業を営みました。その後、赤須賀新田(現在の地蔵)が開かれ、江場村からの農民とともに、赤須賀漁民は全員移転しました。元の地は武家屋敷となって、今は元赤須賀と呼ばれています。さらに赤須賀の人たちが住む町が形成され、赤須賀新田から独立し、猟師町赤須賀と呼ばれました。狭い土地に密集して住みましたので、俗に「猫飛び町」といわれました。享保2年(1717年)には魚市場も開設されました。また、住民は七里の渡しを通行する諸大名に提供された御座船の水夫をつとめました。江戸時代終わりころの記録では502軒、2,359人、船209隻、その内猟船167隻、買舞(かいまい)42隻とあります。買舞とは商品を船に積んで売り回る商船です。
明治の初めころには802戸、2,922人でした。明治22年(1889年)に市町村制が実施されたとき、赤須賀新田の一部を含めて赤須賀村となりました。その後大正9年(1920年)の第1回国勢調査では、赤須賀村は696世帯、2,908人です。その職業人口は1,029人で、水産業が467人、商業277人、交通業100人でした。
明治になると七里の渡しがさびれましたので、赤須賀の人たちは買舞に力をいれました。これは赤須賀船と呼ぱれました。尾鷲など南北牟婁郡地方に明治10年すぎから赤須賀船が往来しました。米などの食料品や日用雑貨品を積んで行き、生魚や薪、炭を買ってきました。最初は帆船や櫓(ろ)船でしたが、大正初めには動力船も登場し、いかに速く生魚を運ぶかを競いました。赤須賀船は米などの必需品を持ってきてくれて、魚を買い上げてくれるので、牟婁郡地方の人たちの生活に大きな役割をはたしました。しかし戦争で人手も船も不足し、さらに戦後は鉄道の紀勢本線が全通したため、赤須賀船の役割もなくなってしまいました。
明治19年から始まった木曽三川改修工事のため揖斐川の沿岸が削られ、新しく北の方を埋め立てたりして、大半は移転しました。村の北端に神明社は移転しました。村内の町名は大正時代に現在のような開勢町、市場町、蛭子町、弁天町、宮本町、港町となりました。それまでは江戸時代から一番組から六番組に分かれていました。
先月号でも書きましたが、大正10年ころから桑名町との合併間題が始まり、難航しましたが、諸戸精太氏のあっせんにより、大正12年に桑名町に合併しました。この記念碑は現在、赤須賀神明社に建っています。先に述べましたように、狭い土地のため小学校用地も十分でなく、町外の城南村地内に桑名町立第四尋常高等小学校(現在の城東小学校)が昭和8年(1933年)に新築移転されました。
〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜
なるほど。
ここらへんで「赤須賀船」と呼んでいた船のことを、地元の赤須賀では「買舞」と呼んだのですね。
ひとつ勉強になりました。
ということは、もしかしたら彼の先祖と、私の先祖は、買舞(赤須賀船)を通じて交流があったのかもしれません。
おじいちゃんとか、ひいじいちゃんあたり??
子孫の代になって、そんなことを全然知らずに知り合いになり、さらに、彼は電柵ネットの関係で早田にも来てくれたことがあるのです。
それも直接の知り合いというわけでもなく、彼の上司と私が藤村先生のマーケティングの塾を通じて知り合って、そこからの縁ですからねぇ。
・・・これって、おもしろい縁だな〜と思うんですよね。
そして、こういう縁を大事にしたいなーって思うんです。
こういう話、好きだなー。
他人事のようですが、自分の身に起こったことです(笑)
佐藤くん、また早田に遊びに来てくださいね。
おいしいマンボウ(があったら(笑))で一緒に飲みましょう。
BGMは、BILLY PRESTONの「YOU ARE SO BEAUTIFUL」。
唄っているのは、「5番目のビートルズ」と呼ばれた、ビリー・プレストン。
さまざまなミュージシャンのバックで、キーボードを弾いた方です。
素朴な声が、この直球の歌詞によく似合いますね。
結婚式などでよく使われる歌ですけども、ジョー・コッカーのバージョンのほうが有名かもしれません。
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本日2発目のブログ。
今日はもう1つ書きたいことがありますので、どんどんいきます。
↑早田の港につながれたマンボウ。
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北海道で『マンボウ』が大漁!しかし食べずに海に戻すそうです。
http://matome.naver.jp/odai/2134717025688343101
↑この記事を読んで、「食べずに戻すのはもったいない。」というようなことを書いたら、とある友人から、コメントをいただきました。
そのコメントをここに抜粋。
〜〜〜ここから〜〜〜〜
三重の南部はマンボウ食べますからねぇ。
僕は北部の人間ですが、昔親の実家が買舞(生活必需品を尾鷲方面に運び、帰りに魚を買い上げる商売)やってた関係で食べてたようで、今でも食卓に上ることがまれにあります。
マンボウを食べるっていう話をすると、たいていの人に驚かれます。
〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜
買舞??
「買舞」って何?
と思って、検索してみると(便利な世の中になったものです)、このページが出てきました。↓
赤須賀村
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11209,234,408,html
このページの文章を、以下に抜粋。
〜〜〜〜ここから〜〜〜〜
赤須賀には永禄4年(1561年)に三河国市場村(現在の愛知県幸田町)から移住してきた人たちが住みつき、漁業を営みました。その後、赤須賀新田(現在の地蔵)が開かれ、江場村からの農民とともに、赤須賀漁民は全員移転しました。元の地は武家屋敷となって、今は元赤須賀と呼ばれています。さらに赤須賀の人たちが住む町が形成され、赤須賀新田から独立し、猟師町赤須賀と呼ばれました。狭い土地に密集して住みましたので、俗に「猫飛び町」といわれました。享保2年(1717年)には魚市場も開設されました。また、住民は七里の渡しを通行する諸大名に提供された御座船の水夫をつとめました。江戸時代終わりころの記録では502軒、2,359人、船209隻、その内猟船167隻、買舞(かいまい)42隻とあります。買舞とは商品を船に積んで売り回る商船です。
明治の初めころには802戸、2,922人でした。明治22年(1889年)に市町村制が実施されたとき、赤須賀新田の一部を含めて赤須賀村となりました。その後大正9年(1920年)の第1回国勢調査では、赤須賀村は696世帯、2,908人です。その職業人口は1,029人で、水産業が467人、商業277人、交通業100人でした。
明治になると七里の渡しがさびれましたので、赤須賀の人たちは買舞に力をいれました。これは赤須賀船と呼ぱれました。尾鷲など南北牟婁郡地方に明治10年すぎから赤須賀船が往来しました。米などの食料品や日用雑貨品を積んで行き、生魚や薪、炭を買ってきました。最初は帆船や櫓(ろ)船でしたが、大正初めには動力船も登場し、いかに速く生魚を運ぶかを競いました。赤須賀船は米などの必需品を持ってきてくれて、魚を買い上げてくれるので、牟婁郡地方の人たちの生活に大きな役割をはたしました。しかし戦争で人手も船も不足し、さらに戦後は鉄道の紀勢本線が全通したため、赤須賀船の役割もなくなってしまいました。
明治19年から始まった木曽三川改修工事のため揖斐川の沿岸が削られ、新しく北の方を埋め立てたりして、大半は移転しました。村の北端に神明社は移転しました。村内の町名は大正時代に現在のような開勢町、市場町、蛭子町、弁天町、宮本町、港町となりました。それまでは江戸時代から一番組から六番組に分かれていました。
先月号でも書きましたが、大正10年ころから桑名町との合併間題が始まり、難航しましたが、諸戸精太氏のあっせんにより、大正12年に桑名町に合併しました。この記念碑は現在、赤須賀神明社に建っています。先に述べましたように、狭い土地のため小学校用地も十分でなく、町外の城南村地内に桑名町立第四尋常高等小学校(現在の城東小学校)が昭和8年(1933年)に新築移転されました。
〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜
なるほど。
ここらへんで「赤須賀船」と呼んでいた船のことを、地元の赤須賀では「買舞」と呼んだのですね。
ひとつ勉強になりました。
ということは、もしかしたら彼の先祖と、私の先祖は、買舞(赤須賀船)を通じて交流があったのかもしれません。
おじいちゃんとか、ひいじいちゃんあたり??
子孫の代になって、そんなことを全然知らずに知り合いになり、さらに、彼は電柵ネットの関係で早田にも来てくれたことがあるのです。
それも直接の知り合いというわけでもなく、彼の上司と私が藤村先生のマーケティングの塾を通じて知り合って、そこからの縁ですからねぇ。
・・・これって、おもしろい縁だな〜と思うんですよね。
そして、こういう縁を大事にしたいなーって思うんです。
こういう話、好きだなー。
他人事のようですが、自分の身に起こったことです(笑)
佐藤くん、また早田に遊びに来てくださいね。
おいしいマンボウ(があったら(笑))で一緒に飲みましょう。
BGMは、BILLY PRESTONの「YOU ARE SO BEAUTIFUL」。
唄っているのは、「5番目のビートルズ」と呼ばれた、ビリー・プレストン。
さまざまなミュージシャンのバックで、キーボードを弾いた方です。
素朴な声が、この直球の歌詞によく似合いますね。
結婚式などでよく使われる歌ですけども、ジョー・コッカーのバージョンのほうが有名かもしれません。
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サポーターのみなさんへ
テーマ:活性化
2012年09月13日 12時10分
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こんにちは。
残暑がきびしいですね。
さてさて、記事がたまってきました。
どうしても書いておきたいことをちょこちょこ出していきます。
まず、はいだサポーターのみなさまへ。
ほんとうにお待たせしました!
m(__)m
本日、荷物を発送します。
ですので、明日にはそちらに荷物が届くと思います。
サポーターのみなさんのことを、忘れたことなどありませんよ!
「早田らしい」一品ができあがるまで、みなさんのなまあたたかい催促の視線を感じつつも、発送をストップしていたのです。
とりあえず、中身は、届いてからのお楽しみということで…。
明日には、中身の食べ方についてレクチャーする記事をアップしたいと思います。
(これでだいたい予想がついてしまうかもしれませんけど(笑))
また、みなさんからの感想をいただくために、ハガキを入れています。
あたたかいメッセージをいただけたら、朝から汗かいてがんばった早田のおばちゃんたちも喜ぶと思いますので、ぜひ投函をお願いします。
とにかくほんとにほんとに、お待たせしました!
これにこりず、またよろしくお願いいたします!
BGMは、山口百恵さんの、「さよならの向う側」。
ここにきてなぜかこんな曲を…(笑)
引退コンサート。
もはや伝説ですね…。
何度も言いますけども、私は生まれたときから百恵ちゃんのファンです。
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残暑がきびしいですね。
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どうしても書いておきたいことをちょこちょこ出していきます。
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とりあえず、中身は、届いてからのお楽しみということで…。
明日には、中身の食べ方についてレクチャーする記事をアップしたいと思います。
(これでだいたい予想がついてしまうかもしれませんけど(笑))
また、みなさんからの感想をいただくために、ハガキを入れています。
あたたかいメッセージをいただけたら、朝から汗かいてがんばった早田のおばちゃんたちも喜ぶと思いますので、ぜひ投函をお願いします。
とにかくほんとにほんとに、お待たせしました!
これにこりず、またよろしくお願いいたします!
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