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フォークソング

テーマ:ブログ

先日、尾鷲市の BLUE MOON にてフォークのライブの報告をしましが、実は私もフォーク世代の人間で、日本のフォークブームのはじめで、その当時は1969年にアメリカのウッドストックでジョーン・バエズが ”WE SHALL OVERCMOE”や”DONA DONA”の曲が評判になり、ピート シガーの「花はどこへ行った」が日本の学生たちのあいだにも広がり、高石ともや、フォークの神様の岡林信康の「友よ」や「山谷ブルース」、加藤登紀子が登場します。 わたしは、はしだ のりひこの「帰って来たヨッパライ」や新谷のり子の「フランシーヌの場合」やカルメン・マキの「時には母のない子のように」は当時よく聞いており、懐かしい曲たちです。 そのころは、世界的に学生運動が広がり、日本でも学生運動が高まり、学生の政治意識の高まりと学生の問題意識に当の大学教授が答えられず、学生が大学教授のレベルを超え、東大、京大の大学崩壊にまでに到りました。 その真っ只中にいた私たちは、自らの道を模索し私の友人の多くは世界放浪の旅にでかけたり、一部の過激な人達は赤軍など急進的な方向に進んだ人たちも現れましたが、一方では作家の開高健さんがベトナム戦争反対運動を鶴見俊輔さんらとやっておられ、鶴見さんは、確か、その時に京都大学の教授の職を辞されたと思います。 あのころの日本人は皆、政治や経済に希望をもち、1970年には大阪万博があり、元気で活気に満ち、高度成長の時代に突き進んでゆき、その後のバブル経済の崩壊しましたが、あの阪神淡路大震災からみごとに復興をなしとげたパワーをもう一度、東日本大震災の復興に発揮しなければなりません。 そして今、この世界の中で未だ経験したこのない核による放射能災害に再度立ち向わねばなりません。 日本の大学生の皆さんは、就職のことより、この日本の現状を考え、あえて TAKE A WALK ON THE WILDSIDE!!  若者よ荒野をめざせ! と言いたいです。

 

 





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漁業と農業が大好きな永遠の少年で、
自然と山をたいへん愛する人です。

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